Verona郊外にある小さな地区「Chievo」 |
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「ロミオとジュリエット」の舞台として知られる「Verona」の中心部から |
5qほど離れた地区にあり 人口はわずか2000人程度。 |
そこに住む若者が集まってチームを結成したのが、1929年。 |
地域の昔の呼び名クリヴスから、サポーターは「クリヴェンシ」と呼ばれています。 |
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Verona Derby |
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同じヴェローナにあるHellas Verona(単にヴェローナと言えばこちらの事を指す) |
こことの対戦がダービー(イタリア語でデルビー)って事になります。 |
初のダービーは、キエーボが 93-94 にSerie C1 で優勝し |
Serie Bの舞台に上がった94-95シーズン(94年12月12日)に行われました。 |
そして、Serie A 初のヴェローナダービーは、2001年11月18日 |
日本でも騒がれていた しし座流星群が極大になる当日のナイトゲームでした。 |
(結果は2-0から2-3の逆転負けもエキサイティングな試合でした) |
キエーボをかつて セリエBに引き上げた事のあるマレザーニ監督は大喜び。 |
(フィオレンティーナ、パルマで好成績を残し この年は地元に戻ってヴェローナを指揮) |
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空飛ぶロバ 「Flying Donkey」 |
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今は亡きルイジ・カンペデッリ会長(長男のルカ・カンペデッリ氏が跡を引き継ぐ)が |
「いつか ヴェローナとSerieAでダービーを」と述べたのを聞きエラス・ヴェローナの |
サポーター達が「ロバに羽が生えて飛ぶ時代が来たら、お前らもAに上がれるだろう」と |
あり得ない話として、からかわれていました。 |
エラスが84-85にスクデットを獲得した年にDilettanti(5部)にいましたし..... |
85-86にC2、88-89にC1、93-94にBへと昇格を決め、デル・ネーリ監督を招聘した00-01 |
セリエBで2位となり、念願のセリエA昇格! 喜びに沸くサポーター達は、各々の旗に |
「ロバに羽が生えた」絵を描いて祝ったのが、キエーボの別名【フライングドンキー】の由来。 |
愛称はチームカラーで呼ばれる事が多く、キエーボはジャッロブルー(黄と青)です。 |
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キエーボの真骨頂 「まっすぐに戦う強さ」 |
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01-02シーズンにカードをもらう機会が多く、誤解されている方がいるかも知れませんが |
キエーボは、会長、監督、コリーニなどの影響で完全にクリーンなチームです。 |
自分達に不利な判定でも、必要以上に抗議はせず(01-02の5節 ウディネーゼ戦は |
負傷者が出てボールを外に出したのに そのボールをキエーボに返さず |
ノムベテが、スローインから攻撃を始めたので 怒ったモーロとダンジェロが |
レッドを食らってしまいました。こういうクリーンさを汚される時はアツイです) |
それどころか、有利な判定になってもくつがえす事がありました。 |
01-02の9節 トリノ戦、左サイドでマンフレディーニ(現ラツィオ)が、縦に突破。 |
競り合いでラインを割ったように見え 一瞬止りかかるもプレー続行。 |
そのままゴールラインまでいき、DFに当たってコーナーキックの判定になりました。 |
両チームとも、コーナーキックに備えてゴール付近で陣取りをしていましたが |
キッカーのコリーニは、サイドラインに向かって軽くボールを蹴り出しました。 |
マンフレディーニが「さっきのは出てたからボールを返そう」と言い |
コリーニがそれに従ったのです。(観衆やトリノの選手からも拍手が沸き起こる) |
イタリアでは、どんな手段でも勝てばいいといった風潮が高いように感じますが |
Calcio の前に大切な事がなんであるかを知っているチームだと思います。 |
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リードしている時の時間稼ぎも ほとんど見た事がありません。 |
相手がビッグクラブだろうが、アウェ−だろうが、リードしていようが |
どんな時でも攻める姿勢を貫いているので「バカ正直」と見る向きもありますが |
見てる方は、清々しくて楽しいです(時間稼ぎ 見ててもつまんないですもんね〜) |
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